鹿沼市議会 2018-09-07 平成30年第4回定例会(第4日 9月 7日)
その論より証拠というか、黒川と並行して西武子川が東にありますけれども、ちょうど魚べい鹿沼府所町店の後ろあたりに、キャサリン台風、昭和22年、ちょっと何月かは忘れましたけれども、たしか9名の方があそこで亡くなられております。記念碑もあります。 そうすると、そこの場所、西武子川を見ますと、河川改修ですごく深くなっているのですね。 だけれども、3年前の鹿沼市のあの豪雨のとき、どうでしょう。
その論より証拠というか、黒川と並行して西武子川が東にありますけれども、ちょうど魚べい鹿沼府所町店の後ろあたりに、キャサリン台風、昭和22年、ちょっと何月かは忘れましたけれども、たしか9名の方があそこで亡くなられております。記念碑もあります。 そうすると、そこの場所、西武子川を見ますと、河川改修ですごく深くなっているのですね。 だけれども、3年前の鹿沼市のあの豪雨のとき、どうでしょう。
また、特にVAN―NOOGAのほうのお話では、防災向上のためのまちづくり、具体的には会の中で、キャサリン台風で渡良瀬川が決壊したときの被害の様子を映した、恐らく映画館なんかで上映していたニュース映像だと思うのですけれども、大変貴重なフィルムが保存されていて、そんなのを見せてもらいながら防災面とまちづくりとの関連などについても大変熱い議論をしている中に私も参加させてもらいました。
キャサリン台風とかですね。 それから、野木町では、新橋小はビオトープが学校内でできておりますので、それで遊水地の植物関係の観察、そしてことしは、野木小は水辺の楽校の蛍を中心に発表すると言っております。 今申し上げただけでも、まさに学習教材の宝庫だなというふうに思うんです。
昭和22年のキャサリン台風では、渡良瀬川が決壊し、多くの死者が出るなど大変な惨事がございました。そのとき本城の雷電神社のある山も幅約150メートル、長さ300メートルにわたり土砂崩れが発生したそうです。幸いにも当時は畑だったので、死者、負傷者は出なかったようですが、これが現在だったら多くの世帯が居住し、大変なことになっていたと、当時を知る人が話されました。
特に戦後間もない昭和22年9月に発生しました、そして、死者1,077人、行方不明者853名を出した雨台風と言われるキャサリン台風による被害は、今でも地域の古老の皆さんの苦い経験として、家族、地域に語り継がれております。 ところで、ことし3月に作成になった保存版、洪水土砂災害ハザードマップが市内全戸に配布になりました。
当足利地域においては、昭和22年のキャサリン台風以来、大きな災害は幸いにして起こっておりませんが、いつ発生するかわからないことでもあっても万全を期さなければならないことですから、足利赤十字病院の災害対策はどのようになっているのかをお聞かせいただきたいと思います。 ○副議長(河内利雄) 吉谷市長。
昭和22年のキャサリン台風で1,800人というとうとい命をなくした。この犠牲に立って、俗に言う、上流においてはダムが、足利の松田川もそうだし、梅田にもダムができた、ないしは草木ダムもできた。
思川の治水計画は、昭和22年のキャサリン台風をはじめ、過去の思川に被害をもたらした主要な洪水等の資料をもとに検討され、100年に1回程度起こる洪水に相当する流量を安全に流下させることを目標に検討を行い、思川乙女地点の基本降水流量を毎秒4,000立方メートルとし、上流ダム群の建設によって毎秒300立方メートルの洪水調節を行い、計画降水流量を毎秒3,700立方メートルと定めており、そのための施設として南摩