宇和島市議会 2022-06-17 06月17日-04号
また、四万十市のような有機給食を始めてみたらいいんじゃないかと思うんですけども、もともと本当に縄文時代からの農業、江戸時代、また戦前まで行ってきた農業、漁業について、もう一回見直す必要があるんじゃないかと思います。 パイオニア的な、もう宇和島市しかできないような一次産業政策考えませんか、岡原市長、いかがですか。 〔「議長」と呼ぶ者あり〕 ○議長(石崎大樹君) 岡原市長。
また、四万十市のような有機給食を始めてみたらいいんじゃないかと思うんですけども、もともと本当に縄文時代からの農業、江戸時代、また戦前まで行ってきた農業、漁業について、もう一回見直す必要があるんじゃないかと思います。 パイオニア的な、もう宇和島市しかできないような一次産業政策考えませんか、岡原市長、いかがですか。 〔「議長」と呼ぶ者あり〕 ○議長(石崎大樹君) 岡原市長。
太古の歴史から彩られた南伊予地域、弥生・縄文時代よりすばらしい森が人々の暮らしを支えていました。今こそ地域の歴史をひもとき、その地域に生息していた草木を生い茂らせ、動植物が喜ぶ森にしなければなりません。山間部の多い本市におきましても、災害に強い森づくりは大切な部分で、長期にわたる永続的な計画と人材の育成が肝要だと思います。今こそ環境再生へと歩まなければなりません。
犬、猫などのペット動物と人との関わりは歴史が大変古く、犬は日本では縄文時代から狩猟で獲物を捕まえるために、猫は穀物をネズミから守るために家畜化されたと考えられています。その頃から家族として扱われてきて、現代も言わずもがな、長らく人間の友として共生してまいりました。
伊予市で発掘されておりますいろいろな遺物、特に高見遺跡等に関しましては、縄文時代に使われた物が出土された遺物等があるわけなんですけども、専門家によりますと、全国的にも高い歴史的な価値がある、そういうふうな意味合いで、伊予市で出土している遺物あるいはいろいろな形の有形文化財等を踏まえますと、県内の順位制は位置づけ自体できませんけども、トップクラスではなかろうか、このように思っております。
旧波方町では、波方港建設時にほぼ完全な形で縄文時代後期の注口土器が海中から発見され、今治市の指定文化財になっております。また、近年ではほとんど見られなくなりましたが、かつては芸予諸島周辺海域において、底引き網漁や潜水漁に伴って、ナウマンゾウなどの化石や古代・中世のつぼなどが多く引き揚げられております。
その項は縄文時代晩期であり、また400年ぐらいしないと弥生時代にすら至らないのであります。「くに」はおろか、当時は「むら」の時代なのであります。大王、天皇の治める国家など片りんすらない時代に初代天皇が即位したなどと非科学的な文章を公の学校にチラシとして持ち込ませるべきではなかったと思います。 教育長、市長、この点を明確にお答えください。
◎教育長(明神崇彦君) 縄文時代と弥生時代との区分につきましては、余り明確ではないと思っておりますけれども、今から2674年前というのは縄文の晩期か弥生時代の初期だと私は思っております。 〔「議長」と呼ぶ者あり〕 ○副議長(福島朗伯君) 坂尾 眞君。 ◆15番議員(坂尾眞君) そのときに日本に住んでいた人口はどれほどだと推計されていますか。
愛南町の人々が3500年も前から生活していた証拠は、平城貝塚や節崎遺跡、深泥遺跡、一本松茶堂遺跡、梶郷駄馬遺跡など、愛南町の各遺跡から出土した縄文時代の土器であります。その中に、姫島の黒曜石でつくられたヤジリがあるのです。将来を託す子供たちに私たちの遠い祖先から今まで、この地域でどういう営みがあったかを教えることは大切なことだと思います。
最近、特に日本人は過去を知らない、歴史を知らないというようなことがありまして、ちょっとやっぱり愛南町のルーツ、縄文時代、3,500年ぐらい前から平城貝塚が発展してきたというようなことからして、非常に興味深いことだろうと思います。
今、この教科書検定をする中で、何と日本の古代史、縄文時代でありますが、ここは教えないと、教える必要がないというような動きもありました。しかし、やはりこれは行き過ぎだと、こういうふうな批判も非常に多く出る中で、何とかこれをやるというようなことになったようであります。一安心をいたしておりますが、それでも、特にこの歴史教育の中では、私は近現代史、これについて非常な危惧を持っているわけであります。
人と動物との歴史は古く、縄文時代から続いていると言われています。最近、経済の発展や生活環境の変化により、心の潤いと安らぎを動物に求めるようになり、犬や猫などの動物を飼う家庭が増えてきております。それに伴い、動物を飼う人と飼わない人との意識の相違や、飼い主のマナーやモラルに起因する動物飼育に関するトラブルも増えています。
一方、翻って国内の有名な遺跡に目を向けてみると、青森の三内丸山遺跡は江戸時代から知られている有名な遺跡で、これまででの発掘調査では縄文時代前期から中期、約5500年前から4000年前の大集落跡や平安時代の集落跡、約1000年前、中世末約400年前の城館跡の一部が見つかっており、特に縄文時代の大集落跡からはたくさんの竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、掘立柱建物跡、大量の遺物が捨てられた谷、泥炭層、約1000
その歴史や文化を語るものとして、国指定の重要文化財である東方町の渡部家住宅を初め、県指定の河野家18将の豪族であった平岡氏の居城跡の荏原城址など多くの文化財が点在しているほか、天然記念物に指定されている窪野町正八幡神社のクスノキや地域内に分布する縄文時代中期以降の古墳群など貴重な資源も数多くあります。
人と動物との歴史は古く、縄文時代から続いていると言われております。最近、経済の発展や生活環境の変化により、心の潤いと安らぎを動物に求めるようになり、犬や猫などの動物を飼う家庭がふえてきております。それに伴い、動物を飼う人と飼わない人との意識の相違や飼い主のマナーやモラルに起因する動物飼育に関するトラブルも後を絶たなくなっているのであります。
このことは、1万年以上を森とともに生きてきた縄文時代の貴重な遺産であると言えます。森のエネルギーは万物を宿す源であり、森を守ることは生命が守られるということであります。今、豊かな海を守るために、漁業者が植林に乗り出しております。水質資源を守るための植林や、生態系を守るための照葉の森づくりなど、森林保全に積極的に取り組みがなされております。
自然の源は森であり、1万年に及ぶ縄文時代が日本の森を守ってきた要因と言われるのであります。すなわち森の文明と言われるゆえんであります。一方、文明の発達による農業牧畜の進行は、森を少しずつ破壊の道へと引きずり込み、都市文明によって砂漠化、森の消滅が急速に進んだものと思われます。我が日本は、長い縄文文化が伝統的日本文化として森との共存による生活を支えてきたと考えられます。